5『ティタとミルド』 君が怒りを内に溜めていることが悲しい。 それをぶつける事で簡単に壊れてしまう関係だと考えているからだ。 君に怒りをぶつけて欲しい。 それが、君が僕の存在を認め、意識してくれている証になるから。 魔導研究所には五種類の人間がいる。営む者、学ぶ者、教える者、生み出す者、そして知る者。学ぶ者と教える者を除いて、それぞれが主に活動する場所は分かたれており、用もないのにお互いが顔をあわせることは、なかなかない。 中央ホールにおいては、その法則から外れていた。それぞれの活動する場所に赴くまでに必通らなければならない場所なので、自ずとここにいる人間の顔ぶれは多彩なものとなる。 その中央ホールは、最初ここを通った時とは全く違った印象の空間になっていた。 先程は、吹き抜けた先の天井窓から、大樹の葉を通した柔らかい日光がホール全体を照らし出していたのだが、今はその日光が大災厄の黒雲にさまたげられ、代わりに壁や、大樹自体がぼんやりと光っている。 昼間ほどには明るくないが、これはこれで幻想的な雰囲気ではあった。 大樹の根元に一人の女性が立っていた。年頃は三十代前半だろうか、出るところはでて引っ込むところはしっかりと引っ込んでいる理想の体型を持っている。 艶のある瑠璃色の髪をショートカットにしており、顔は目鼻立ちのはっきりとしたそれでいて見るからに活発で気の強そうな印象があった。 彼女は、魔導学校に続く通路から中央ホールに戻ってきたリクたちの姿を見ると、手を軽く振り上げながら近付いて行く。 「やあ、アンタ達がファトルエルの大災厄の情報を提供してくれるって人達かい? アタシは魔導研究所研究部第三研究班主任研究員、まあ、平たく言えば“大いなる魔法”の研究をしているティタ=バトレアスって者さ。ティタでいいよ」 (……バトレアス?) リクがその単語に眉を潜めるが、その疑問を口に出す暇を与えず、ティタと名乗った研究者は、まくしたてるような自己紹介に呆然としている一同の一人であるカーエスの目の前に立った。 そして、彼の目を覗き込むようにして言った。 「アンタが、“完壁”カルク=ジーマンの弟子のカーエス=ルジュリスだね? 噂には聞いてるよ。とぼけてるけど、師匠に負けないくらいの魔導士らしいじゃないか。上級魔導士試験にも最年少で合格したんだって?」 「お前……、そんな記録も持ってたのか……?」と、ティタの言葉に、リクが驚きの目をカーエスに向ける。 当のカーエスは、やはり誉められたのが嬉しいらしく、満面の笑みを返した。 「いやぁ、はっはっは、それほどでもぉ……」 「カルク=ジーマン教師の弟子のあんたなら、少しはファトルエルのグランクリーチャー討伐の事も、詳しく知ってるんでしょ? 期待してるよ」 「オッケー、まかしといてや」 すっかり御機嫌で、カーエスは胸を叩いた。 すると「単純な奴だ」と、ジェシカが横目でなにやら不満そうに睨んで一人ごちた。リクはそれを聞き付けて、苦笑した。ジェシカは、カーエスが絡むと文句を言わなくては気が済まないらしい。 ティタは、いい返事をするカーエスににっこりと笑いかけると、その隣にいたフィラレスにも目を向けた。 そしてやはり、目を覗き込むようにして言った。 「アンタがフィラレス=ルクマースだね。アンタの事もよく知ってるよ。ウチの人がよくアンタの話をするからね」 「ウチの人?」 カーエスが、眉を歪めて聞いた時、そのタイミングを見計らったように、一人の男性が声を掛けてきた。 「おかえり、フィリー。迎えにきたよ。ファトルエルでは大変な目にあったんだってね。何にしろ、無事に帰ってきてくれて嬉しいよ」 その声に、フィラレスやティタだけではなく、全員の視線がその男性に集中した。 ティタと同じような年頃で、人あたりの良さそうな柔らかな笑みを浮かべている、優しそうな印象のある男である。研究者で、そのような印象を持たせるのとは裏腹に、よく見ると、割とがっしりとした体躯である事が分かった。 彼は、全員の視線の中に、ティタのものが混ざっている事に気がつくと、罰が悪そうに苦笑して付け加えた。 「……君にも会えて嬉しいよ、ティタ」 「気がついてくれて、ありがと」と、ティタは皮肉の利いた笑みを返す。 その笑顔から逃れるように、彼はカーエスに向かって、小さく手を振った。 「カーエス君も久しぶり」 「ミルドはんも元気そやね」 挨拶を交わすカーエスの袖を、リクはちょいちょいと引っ張った。 「知り合いか?」 「この人はミルドはん言うて、フィリーの“滅びの魔力”を研究しとる人やねん。フィリーの着けとる魔封アクセサリーな、あの人がデータから発案して開発されたモンやねんで」 「ほう、それではかなり優秀な学者なのではないか?」と、それを聞いたジェシカが目を丸くしてフィラレスに目をやった。 カーエスは頷いて付け足した。 「せやな、それにミルドはんは、フィリーの数少ない味方の一人なんや。めっちゃええ人やで」 カーエスは、ミルドに対してかなりの好感をもっているようだ。 「で、ティタも知り合いみたいだけど?」 「知り合いみたい?」と、リクの言葉を復唱し、ティタは更に顔を引き攣らせた。「そりゃそうだわ、アタシより研究対象の女の子に先に気が付くくらいなんだからねぇ」 その言葉に生える棘が、はっきりとミルドに向けられている事を、リクは感じとった。ミルドは、致命的な失敗をしてしまった時のように、脂汗をびっしりと浮かべている。 ティタは、そんなミルドの正面に仁王立ちして更に威圧を加える。それにミルドは気押され、ミルドは更に縮こまった。 「さあ、しっかりみんなに自己紹介しなっ!」と、ティタは思いきりミルドの肩を叩くと、彼をリク達の方に押し出した。 ミルドは背後の威圧感におびえながら、弱々しい声で自己紹介した。 「……その、ミルド=バトレアスです。ティタの夫をやらせてもらってます」 「よろしい」 「ミルドはんが結婚しとったなんて、初めて知ったわ……」と、尻に敷かれる夫の図を見せつけられたカーエスが、呆然として漏らす。 「で、後ろのもう一人は誰なんだ?」 そう尋ねたリクの視線の先には小柄な男が控えていた。その男はあまり上品とは言えない笑みを漏らす、卑屈を絵に書いて額縁に入れたような男だ。年齢は見た目では計りにくい。 はっきりいって、第一印象はあまりよくないと言えた。 「ああ、この人は……」と、ミルドが、何故か若干表情を曇らせて紹介しようとした矢先に、一人の白衣を着た男がラウンジに駆け込んできた。 その男は、ティタの姿を認めると、急いで駆け寄り、まくしたてるように報告する。 「主任! 大変だ! クリーチャー達が暴れだして、檻の中から逃げちまった!」 「本当かい?」 確認はするものの、ティタの表情にはそれほど驚きが含まれていない。 駆け込んできた男の表情は、対照的に焦燥感を露にしていた。 「主任、どうする!? もしクリーチャー達を逃がしたら、この研究所は大変な事になる!」 「慌てるんじゃないよ。予想は出来てたことなんだ。いいかい、今から行政部に行って、魔導士団の出動要請をしてくるんだ。アレはちゃんと“監獄”の方に閉じ込めてあるんだろ? いくら行政部の反応がトロいったって、そうそう出られやしないさ」 「そ、それが……」 ティタの言葉に、駆け込んできた男は意味ありげに口籠った。 彼女は、その意味を即座に、且つ正確に読み取ったように尋ねる。 「まさか、まだなのかい!?」 「す、すまねぇ、実験室から運び出すのに手間くっちまってる間に、“孤立する日”が始まっちまったもんだから……」 「じゃ、まだ実験室に!?」 男が、こっくりと頷く。 その報告には、さすがのティタも顔色を変えた。 そんなティタの背後から、リクがそっと話し掛けた。 「何があったのかはよく分からねーけど、魔導士が要るなら俺達が手を貸すけど?」 彼の申し出に、ティタは振り返り、食い付くような表情を見せる。 「いいのかい……?」 「俺も、構わへんで」「私もだ」「いいッスよ、俺も」 各々で返事をし、フィラレスもこくりと頷いた。 リクは、口元に頼もしげな笑みを浮かべて言った。 「……だそーだ」 ***************************** 現場に早足で向かう間に、ティタはリク達にかいつまんで事情を説明してくれた。 ティタ達は前回の、つまり約二百日前の“孤立する日”に、彼女達の“大いなる魔法”の研究の一環として、エンペルファータを定期的に襲う《テンプファリオ》の大災厄の前にエンペルファータ周辺に罠を仕掛けた。そうやって、その大災厄の時に発生したクリーチャーを捕獲する狙いである。 目的は達成され、その罠にはその大災厄の時に発生したクリーチャー数十体が掛かっていた。 そして今日までの二百日間、そのサンプルでいろいろな実験を行ったティタ達であるが、その間、クリーチャー達は割と大人しくしていた。しかし、今回の“孤立する日”に反応し、狂暴化するかもしれない、と、今日はそのクリーチャー達を要警戒生物保管庫、通称“監獄”に入れておくはずだったのだが、それは叶わなかったらしい。 “監獄”には何重もの分厚い扉と壁が囲んでおり、いくら檻を破ったクリーチャーとてそう簡単に部屋の外には出られないのだが、実験室は一枚扉で、それとくらべると少々心許ない設計だ。 そんな事態のために、エンペルファータには魔導研究所内で公式の資格を持った魔導士達で構成される、『エンペルファータ魔導士団』という一種の自警団が組織されている。 ただ、そのほとんどは専業ではなく、普段は魔導学校の教師であったり、行政部に従事していたり、あるいは研究者としての仕事をこなしていたり、と本業を持っている。彼等の頂点である魔導士団長のディオスカスからして、普段は開発部長として勤めているのだ。 そのため、要請から今やっている仕事を中断して、事情を聞き、現場に駆け付けるという過程に、時間が掛かる訳である。 “監獄”に入れた後なら、魔導士団を待つが、実験室では、その到着を待っていられないので、要請して出動を待っている訳には行かないということらしい。 移動に十数分掛け、リク達は、その部屋の前に到着した。 扉は重そうな金属製で、太く丈夫そうな閂が三つ付いていた。その扉の向こうで、ずしんずしん、という音と共に扉が振動した。 今現在、扉がひしゃげている訳ではないが、様子を見る限り、一時間もしないうちに破られそうだ。 「準備はいいかい?」 視線を巡らした順に、リク達は頷いていく。それを見たティタは扉の脇にあるパネルを操作して、扉に掛けられた閂を外していった。 「俺達が入ったら扉は閉めてくれ。外から中の監視はできるか?」 リクの質問にティタは頷いた。 「じゃ、終わったら鍵を開けてくれ」 そう言うと、リクはドアのノブに手を掛け、後ろに控えているカーエスとジェシカに言った。 「扉を開いた瞬間に飛び出してくるかも知れねーから、先制攻撃頼むわ」 「よっしゃ」 「お任せ下さい」 そう言って、二人は扉の正面に立ち、腰を落として身構えた。 「行くぞ……一、二の、三っ!」 リクは気合い一番、勢いよく、その頑丈ゆえに重い扉を開いた。 「風を集めて凝らせし《風玉》よ、触れし者全てを吹き飛ばせ!」 「《電光石火》によりて我は瞬く速さを得ん!」 カーエスが風邪を凝縮した玉を放ち、ジェシカは音をも超える速さで扉の中に突っ込む。 果たして、リクの予想通り、扉のすぐ向こうに、彼らの二倍はあろうかという巨大な身体を持つクリーチャーが三体、飛び出してきていた。 一体はカーエスの《風玉》に、もう一体はジェシカの《電光石火》の一撃に押し返されたが、残りの一体はそのまま外に出てきてしまった。 残った一体はフィラレスに狙いを付け、飛びかかってくる。 思わず身を固くした彼女と、クリーチャーとの間にリクが割り入った。 「我は叩かん、衝撃が凍結を生む《氷の鎚》にて!」 彼の右手に具現化した、白く冷たい鎚の形をした光でリクはその一体を殴りつけ、部屋の中に押し込む。 「よし行くぞ、コーダ、フィリー!」 コーダとフィラレスは、それぞれ頷いて、彼の後に続いて部屋に入る。 全員入ったのを確認すると、ティタとミルドが扉を閉め、パネルを操作して閂を掛けた。 「頼んだよ、あんた達」と、扉に額を預けるティタの肩に、ミルドが優しく手をおいた。 「あとはカーエス君達に任せて、僕達は管制室に行こう」 「そうですよ。あなたも、捕まえたクリーチャー達がどう戦うのか見てみたいでしょう? もしかしたら、“滅びの魔力”が発動するところを見られるかもしれませんしねぇ」 ミルドの後ろにいた男が、エモノを前にしたハイエナのような、汚い笑みを浮かべて言う。 ティタは、その自分達の好奇だけを踏まえた発言を睨んで咎めたが、彼はこれに動じる事はなかった。 |
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